鳥取県革新懇の活動を紹介します。

 

 

 沖縄・平和ツアーの記録

 5月17日の沖縄県民大会の参加を兼ねて、17日から19日まで県革新懇が呼びかけて「沖縄平和ツアー」をおこない、17人が参加しました。

【17日】沖縄県民大会・普天間基地・名護共同センター

◆米子空港出発

 ツアー参加者17人が米子空港に集合。出発前に空港ロビーで、辺野古に届ける寄せ書きにメッセージを書くなどの準備をして沖縄に飛び立ちました。


◆沖縄県民大会参加、3万5千人の熱気

 那覇空港から県民大会の会場、セルラースタジアムに行くと、すでに多くの参加者が詰めかけて大混雑でした。メインスタンドやステージ前の席は満席で、外野席で集会に参加しました。

 司会は女子高校生が務め、集会が最高潮に達したのは翁長知事が発言した時で、指笛や歓声が沸き起こり、自然に始まったスタンディングオベーションが会場全体をうねりました。

 「オール沖縄」が「オールジャパン」に発展して、暴走を続ける安倍政権を包囲し追いつめていることが浮き彫りとなる歴史的集会となりました。

集会の熱気を伝える翌日の地元紙記事


◆普天間基地視察

 県民集会後、普天間基地を一望できる宜野湾市の嘉数高台で、知念宜野湾市議から説明を受けました。

 知念さんは、オスプレイが傍若無人の訓練を繰り返していること、もともと基地としての能力は低く、辺野古移設で最新鋭の基地をつくりこれから何十年も基地を押し付けられるのは、絶対に許されないと語られました。

 また、「辺野古移設を宜野湾市民はどう思っているか」という質問に答えて、「市民の多数がこんな危険な思いを他の地域に移すことは望んでいない」と話されました。

 嘉数高台は、沖縄戦の最初の激戦地になったところで、日本軍のトーチカ跡も保存してありました。

↑トーチカ跡(岩の奥に空洞があり、2つの穴は大砲や機関銃を据えた)


 普天間基地の危険性を浮き彫りにした大型ヘリの墜落事故現場の沖縄国際大学を訪れ、知念市議から説明をうけました。

 事故現場は県道沿いにあり、焼失した樹木の残骸がモニュメントとして残り、ヘリのローターが当たってできた亀裂跡が生々しく残る校舎の壁が切りとられて展示してありました。

 事故現場は直後に米軍によって立ち入りが禁止され、政府や警察も排除されたこと。飛び散ったローターの一部は、県道を飛び越えて向かい側のマンションにあたって壁を突き破る被害があったこと。8月13日で、夏休み中の盆の時期だったため、学内に学生がいなかったことで奇跡的に犠牲者が出なかったことなどの説明がありました。この基地は一刻を争って撤去するしかないと思いました。

◆夜は名護の共同センターで、古堅宗義さんを講師に辺野古の闘いの歴史や教訓、今後の展望について学び交流しました。

 古堅さんは、20年前の「SAKO合意」で普天間の辺野古移設が打ち出されてからのたたかいについて、20年前に辺野古で開いた13人の「つどい」が出発点になり、おじい、おばあの不屈のたたかいに励まされて発展させてきたこと。この一年でたたかいが「オール沖縄」になり、さらに「オールジャパン」に広がって、日米政府を追いつめていること。「変わり始めたら早い」と感慨を込めて報告されされました。

 交流会では、共同センターの宮里所長から歓迎の挨拶があり、田原団長が連帯の挨拶をおこないました。

 また、昨年の定数一の県議補選で当選した具志堅徹県議、辺野古で監視・抗議行動を続けている平和丸の中本船長からも挨拶があり、熱いたたかいの息吹が伝わってきました。

 交流会の最後に、鳥取県内で集めた連帯募金を田原団長や各団体の関係者から、あわせて24万円余を宮里所長に手渡しました。 右写真⇒


【18日】辺野古視察、連帯・抗議行動、嘉手納基地調査

◆辺野古視察

 ツアー2日目は、共同センター所長の宮里さんの案内で、最初に大浦湾に面した汀間漁協に行きました。平和丸に乗船して船で辺野古沖の工事現場などを調査する予定でしたが、台風の影響で波が高く海上調査は断念しました。

 船長の中本さんから説明を受け、カヌーで抗議行動を6年前から続けているという方からもお話をうかがいました。

 中本さんのお話で驚いたのは、国が立ち入り禁止に指定してフロートで囲い込んでいる海域の大きさで、辺野古沖の広大な海域が占拠されていることです。そして、国民を追い出すために設置している海に浮かぶフロートが、安いもので1個3万円、高いものでは7万円だそうです。何個あるのか?数万個の単位だと思われますが、フロートの下には固定用の重石として、台風で流されたアンカーに変わって重さ数トンのコンクリートブロックがつけてあり、これがサンゴを破壊して問題になっていますが、無駄遣いという点でも桁外れのことが行われていることを知りました。

 また、仲井真前知事が県民を裏切ってから、海上保安庁などによる威圧的な妨害行動が多発していること、カヌーや監視船が転覆させられる事故がおこっており、顔見知りになった海保職員は「スイッチが入ったら人が変わる」ことを認めていたとのことでした。中本さんは、海保職員も沖縄県民だったり国民であることに間違いはないので、敵として見ないで対応しているという趣旨のお話しをされ、沖縄の闘いの懐の深さを感じました。

 大浦湾と辺野古沖が一望できる灯台跡に移動し、宮里共同センター所長から説明をうけましたが、辺野古の海はサンゴで白く透明な水面がかなり沖まで続き、深い青色の海とのコントラストも鮮明で、ジュゴンも泳ぐこんなきれいな海を基地で血塗らせてはならないと、参加者みんなが強く感じました。


◆キャンプシュワブ 抗議テント前

 辺野古にある米軍キャンプシュワブのゲート前にある抗議テント前に行き、座り込み抗議活動に全員が参加しました。

 テント前の歩道では、沖縄県内各地、そして全国から集まった人達が、交代で抗議と連帯のアピールを行いました。鳥取のツアー参加者も持ってきた寄せ書きや横断幕を掲げて並び、田原団長が代表して発言しました。

 抗議行動参加者は、基地に出入りする米軍の車両や、テント前の国道を通行する車に向けてプラカードを掲げてアピールしました。

 テントと道を挟んだ米軍基地のゲート付近の金網の前には、防衛省が雇った民間の警備会社の警備員でしょうか、20人ぐらいが等間隔で、少し足を開いて直立の姿勢で立っていました。


◆嘉手納基地調査

 嘉手納基地を一望できる「道の駅・嘉手納」で、北谷町議会で副議長を務める中村重一さんからお話をうかがいました。

 中村さんは、写真パネルや米軍機が爆音をあげて飛び立つ動画を記録したiPadを使って、嘉手納基地の成り立ちや機能と住民への被害、日本政府の基地機能整備への支援などについて、詳しく説明していただきました。

 嘉手納飛行場の巨大さに驚きましたが、それをはるかに超える大きさの弾薬庫群があること、そこには核爆弾の保管庫があり、核専用部隊がいまだにいることなどを聞いて大変驚きました。

 到着した時は昼休み中で、基地の中は静かでしたが、1時過ぎには午後の訓練が始まるのか、F15戦闘機がネズミが出てくるように次々出てきて、飛び立っていきました。また輸送機でしょうか、黒い色の大型機が国道沿いの誘導路を通過し、その爆音は凄いものでした。

 ところで、中村さんのお話で、基地の電気代は年間40億円で日本政府が負担していること。新しくできた輸送機の格納庫は、敵の核攻撃にも耐えられるよう1つが4億円で、これも日本政府が国民の税金でつくったとのことでした。いくつ格納庫があるかまで聞きませんでしたが、3つや5つでないことは見てわかりました。

 世界中で日本ほど、米軍の駐留のために負担の義務のない費用を気前よく負担している国はありません。国民の暮らしの厳しさに一顧だにせず、米軍だけを思いやる政治は一日も早く変えなければと思いました。


【19日 南部戦跡視察】

 ツアー最終日は、早朝に那覇のホテルを出て、南部の戦跡を訪ねました。ガイドは、ツアーメンバーの中で毎年沖縄を訪ねているという石田さんに勤めていただきました。

 

◆ひめゆりの塔、魂魄の党、因伯の塔

 最初に行った「ひめゆりの塔」では、それぞれが献花して戦争法は許さないと誓いました。敷地の中に、鳥取県倉吉市の伊藤さんという医師が寄贈したガラスのケースに入った像がありました。石田さんのお話では、どういう経過で寄贈されたか詳しくわかっていないという事でした。

 次に近くの魂魄の塔を訪ねました。塔の前にある碑文は翁長知事のお父さんによるもので、翁長知事の今日の基地や戦争に対する一貫した立場の原点がここにあり、揺るぎがないものだと確信しました。

 魂魄の塔の周辺には、全国の各都道府県の慰霊塔があり、鳥取県の慰霊塔である「因伯の塔」を訪ねて慰霊の祈りを捧げました。

 実は行ってみて分かったことですが、「因伯の塔」が建立された1971年当時に知事だった石破二郎氏(石破茂氏の父)が書いた碑文には、「大東亜戦争」という表現がありました。他の県の碑文と比べて古い歴史観にたって書かれているとの説明があり、とても恥ずかしい思いになりました。 

ひめゆりの塔に献花する松本副団長

「魂魄の塔」の翁長知事のお父さんの書いた碑文

上↑が「因伯の塔」の碑文

左←が「因伯の塔」


◆平和記念講演

 最後に平和記念公園を訪れ、平和資料館で沖縄戦の惨劇の記録について学びました。

 日本で唯一の地上戦が行われた沖縄の戦争被害は、原爆や大規模な空襲とはまた違った悲惨さをもたらしたことがよく分かる資料や映像によって、戦争は絶対にしてはならないと強く感じました。

 公園内には、沖縄戦で犠牲になった人々の名前を刻んだ碑があり、その中に鳥取県出身者の名前も刻まれていました。


沖縄戦犠牲者の名を刻んだ慰霊碑全景


 14年度第1回世話人会(2015年1月17日開催)

 「島根原発」について安田寿朗弁護士が講演

 鳥取県革新懇は1月17日、北栄町で第一回世話人会を開催。「総会以降の活動」と「今年度前半の活動方針」を確認しました。

 弁護士の安田寿朗氏が「島根原発第3号機訴訟の現状と課題」について報告、また、長崎大学名誉教授の綾木歳一氏が、「低線量放射線と健康」について説明し、参加者が理解を深め合いました。 

 続いて代表世話人の田原勇氏が、10月5日に開催された県下「九条の会」主催の渡辺治講演会、沖縄県知事選への支援、総選挙での革新懇「三つの共同目標」実現を目指す取り組みなどについて報告。今年後半の活動方針では、1月31日に開催する「地方政治を考えるフォーラム」の取り組み、県知事選挙への対応、戦後70年の企画として県下各地での「戦争展」開催、憲法・原発・TPPと農協改革などでの一点共闘の発展、さらには、革新懇の拡大・強化と学習・講演会の開催を提起し、参加者全員で確認しました。


 2014年度総会開催

 9月7日(日)、北栄町の中央公民館大栄分館で鳥取県革新懇の2014年度総会を開きました。

 総会議事に先だって、「戦争する国づくりと教育のこれから」をテーマに、鳥取大学地域学部の山根俊喜教授の記念講演がおこなわれ、臨教審以来の自民党の教育政策と安倍政権のすすめる「教育改革」が、日本をどこに導こうとしているのか、本来の教育改革のめざすべき方向について、深め合う機会となりました。

 総会では、集団的自衛権の閣議決定を撤回に追い込む戦いなど、安倍政権の暴走と闘う県民の共同した運動を強めながら、政治を変える統一戦線としての革新懇の役割を発揮して、『激突の情勢』に応える今年度の活動方針―報告と提案を採択し、新しい世話人と代表世話人を選出、2013年度決算と2014年度予算を承認。賛助会員制度を創設する会則の改正を決めました。


開会あいさつする浜田代表世話人

記念講演する山根鳥取大学教授


 2013年度総会 

 共産党のカクサン部長・田村氏が記念講演

鳥取県革新懇は9月16日、北栄町でSNS講演会を開き、日本共産党宣伝局の田村一志次長が「ネット選挙を通じて見えてきたこと」と題して講演しました。
 田村氏は、①新しい政治をめざす模索と探求にネットがマッチし日本共産党が躍進②反共のカベが崩壊した③政党の地金が試された④SNSの草の根の力、ゆるキャラ「カクサン部」、ネット生放送の威力―の4点について報告しました。
 田村氏は、3・11以降の原発事故をめぐる報道で、政府やマスコミの情報隠しに対し、有権者がネットで情報を集め共有し行動を起こし、原発ゼロ・再稼働反対などの運動が広がった点を指摘。「東京のキラキラ☆サポーターズ」など、若い世代や子育て世代が、自分の応援する候補者や政党への支持をネットで広げる活動を通じて主権者として成長した姿を紹介しました。
 さらに、ネット選挙でネットウヨクの反共攻撃、誹謗・中傷が有権者の支持を得られなかったことや、日本共産党以外の政党が「政策を語れない」「有権者とやりとりができない」など、政党として致命的な〝地金〟を露呈して沈んだことを報告。革新懇のSNS活用が、政治革新への参加を広げる可能性を指摘しました。